The Lonely Labourer

コンピューター・ミシンがウィリアム・モリスによる⼿書きの⽂章を全⾃動で縫っていく様⼦を納めた映像作品。⽂章の内容はアーツ・アンド・クラフツ運動の創始者であり、社会主義者でもあるモリスが、聖職者に宛てて⾃⾝の社会主義観を理論化して説明したものである。
 
モリスにとって社会主義・共産主義とは⼈間性の回復と芸術への回帰である。⽑沢東時代の中国やソ連の失敗に終わった歴史が⽰すように共産主義は労働意欲の低下を招く。しかし19世紀当時、モリスは、共産主義は労働意欲を低下させないと考えた。それは「芸術とは、⼈間の労働における楽しみが表現されたものだ」(1879 年の講演録『⺠衆の芸術』岩波⽂庫、p44)という、彼⾃⾝の芸術概念に基づいている。つまり労働が芸術的であれば、全ての仕事はやりがいに満ち、労働者の勤労意欲は低下せず、労働の無駄も⽣まれないと考えたのである。
 
モリスはまた、機械による⽣産は労働者を過酷な労働から救わないという考えの持ち主であった。機械による労働の代替は、労働者を新たな過酷な労働へと導くだけであると考え(『ユートピア便り』岩波⽂庫、P327)の中で、労働からの解放が、より⾼度なかたちの芸術の専念に導く可能性についても述べられている)、また、機械によって作られたものは俗悪なものと断じた。ただし、⽣産機械⾃体は⼈間の作り得た美しい結果物として認めている。
 
2019年現在、私たちはモリスの社会主義運動が実らなかったことを知っている。貧富の格差は埋まらず、モリスの出⾝地である英国は労働者たちの不安に端を発するブレグジットに揺れ、ここ⽇本では⼈⼝減少と外国⼈労働者に対する搾取が問題になっている。そして機械(テクノロジー)は A.I という新しい時代を迎えた。コンピューター・ミシンによって再現されるモリスのメッセージは、忘却された過去や、現代に対する反省を呼び起こし、同時に未来への⼿がかりを指し⽰す。
 
 
*テキスト全⽂
The waste of labour power now caused by (a) the watching over the individual interests of the plundering classes (competition we call it) and (b) by the rich classes forcing the workers to work uselessly, would come to an end.
 
(a)略奪者階級が個⼈的な利益を貪ること(われわれが競争と呼ぶもの)と、(b)富裕階級が労働者を強いて無駄に働かせることによっていま⽣じている労働⼒の浪費は、終わりを迎えるだろう。

訳協⼒:川端康雄⽒