工藤静香が二科展で特選を受賞したことを知った今日、新作が完成した。この作品は1940年代中頃の二科会会員の写真を刺繍にしたものだ。二科会は1944年、戦時下の「美術展覧会取扱要綱」の規制により一度は解散したが、敗戦後間もない1946年に復活を遂げた。作品に使用した写真は、再興時の二科展の前夜祭で、画家達が土人(現代における言葉の差別性を認識した上で、当時の表現をそのまま引用する)の格好をしながら銀座から上野までを練り歩くというパフォーマンスを行った時の様子を収めたもので、このメンバーの中に洋画家であった祖父もいる。当時、祖父は30代後半から40代前半で、今の自分の年齢に近い。祖父は二科会会員(後に常務理事)として、1998年に93歳で死去するまで、風景や人物(主に少女)を描き続けた。祖父の絵は素朴な印象派といった趣で、ボナールやヴィヤールを思い起こさせる。

恐らく幼少期は、祖父の絵、または画家としての祖父に影響を受けていたように思う。一丁前に油絵をキャンバスに描いてみたり、「画家になる」と小学校の卒業文集に書いていたことからもそれは明らかなのだが、美術を学ぶにつれて逆に祖父の絵を観なくなってしまった。祖父の絵が自分の目には長年変化がなかったことや、現在の二科会のような美術家団体に対する懐疑心を持ってしまったことが理由にある。しかし写真の中の土人の格好をしている若き日の祖父やその仲間たちの姿は、権威主義で雁字搦になっている現在の画壇や、それと同じ道を既に歩んでいるかもしれない現代アートという分野に対し、常に危機感を抱きながら活動している今日の作家達と何ら変わるものではない。

今回の展覧会では祖父、青山龍水の活動を参照しつつ、労働やテクノロジーの問題についての興味を反映させた「Glitter Pieces」の新作の他、過去に発表したランドスケープも展示する。個人的な影響、反発、共鳴の先に、より多くの人たちとのシェアが可能な問題意識と、制作への衝動を提示できればと思う。

2010年9月